東大院とミニマリスト

東大生とミニマリスト

徒然

好きなことをして生きていたい。大人になる前は、漠然とだけれど、何の不安もなくなりたい大人になれると思っていた。何不自由なく、幸せな日々を送る自分の姿が容易に想像できた。ただ、実際は、そうすることはできるが、かなりの努力をともなう。そしてその努力は心がえぐられるほどしんどいのだ。私は、自分の脳とうまく対話することができない。対話しようとしている私も、対話の対象も私なのだが、それぞれの私は相いれない。私の中に、私の意志で何とかできない私がいて、それはもはや私なのかと疑いたくなる。ただし、位置は私の中にある。

前者の私は、優しくあるが、後者の私は厳しいのだ。厳しい私は、同時に頭がいい。なぜならば、その私は脳みそだから。

私は問う。私はどうすれば幸せになれるのかと。私は、答えないが、問うだけの私を痛めつけることもない。問うた私は、自暴自棄に陥り、限られた時間の中で、逃げ、体を蝕み、必然的に存在する死へと私をいざなう。私は死にたいわけではない。

私は、ただ幸せに生きたいだけなのだ。ただ、不幸せに生きる人生と、死とを比べるしかできないのだ。不幸せな生は、努力で幸せになりうるかもしれないが、その努力こそが不幸せなのだ。結局、ベクトルがマイナスへ向かう不幸せな時間を過ごすか、ベクトルがプラスへと向かう不幸せな時間を過ごすかの2択で、もちろん後者のほうがより不幸せの度合いは高いが、(だから避けがちなのだが)、だが、生きてみるのも悪くないかもしれない。

この無理やりな答えに導かれるまで、私は、徒然と文を書いてきた。

いよいよめんどくさい仕事へのやる気が少しだがわいてきた。

やろうではないか。高次元で、生きようではないか。