東大院とミニマリスト

東大生とミニマリスト

徒然

自分をどうしたら認められるのか。

自分の認めたいところは、まつ毛のきれいさ、えくぼ、肌の白さ、以上。

それ以外は、認められない。

努力できない自分も嫌いだ。剥げてる自分も嫌いだ。毛だらけの自分も、汚い乳首の自分も嫌いだ。太っている自分も嫌いだ。すぐ言い訳をする自分も嫌いだ。堂々とできない自分も嫌いだ。

 

嫌いといったのは、久しぶりだ。自分と向き合うことをしばらくしてこなかった。避けてきた。自分は向き合うだけの価値はあるのか。

中学2年から高校1年までの、あの頃の自分が本当の自分で、今の自分は救いようがないと自分で自分にあきらめている。

もうなにしたって遅いんだ。いろいろな社会の、この世界の制約が邪魔をする。あの時ああすればよかったと後悔が私を折檻し、私はいろんな人をねたむ。それが自分を救うことと何ら関係ないとわかってはいながら。

まだ ではなく もう が出てくるようになった。

いつでも、まだ の意識が大事で、自分はまだまだこれからだ、と思うこと。

まずは、あこがれの人に並べるように、やってみることが大事だ。

大事なことは、ぎりぎりまで努力すること。結果第一にはならないこと。中途半端な意識を持たないこと。逃げないこと。逃げることは易いが、逃げ場も限られている。不幸はしょわない。不幸なんてそうそうないのだ。不幸をしょって憐れまれてる自分を期待するより、今をリアルを生きる。心の中の、変な奴が消えて、心の滓が少しずつ流れゆくのを感じながら、わたしは私を大事にしていると強く感じながら、私はわたしを愛する。